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記事にするのがかなり遅くなってしまいましたが、大阪府堺市で毎年行なわれています陶器(とうき)地区だんじり祭を2012年10月14日の日曜日に観に行きました。 以前からだんじり祭の様子を何度か紹介してきました深井地区から4kmほど南にある地区です。陶器だんじり祭は、基本的にはこの地区内にある陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)の祭礼です。陶荒田神社は日本の須恵器(すえき)発祥の地に創建された神社だそうです。 日本の陶土焼成容器(アーセンウエアー:earthenware)の進化の流れは、縄文式土器⇒弥生式土器⇒土師器(はじき)⇒須恵器となっていまして、須恵器は古墳時代にこの地で生産が始まり、日本全国に広がって、平安時代中頃まで生産されました。それまでの土器は庶民が粘土を手びねりして成形し、各住居の庭先で野焼きで焼成して作られていたのですが、須恵器は職人達が轆轤(ろくろ)を用いて成形し、高温になる登り窯(のぼりがま)で焼成して作られました。古墳時代には高級土器として主に祭祀に使われたようです。 陶器だんじり祭では、観覧スポットが散らばって何箇所かあるようなのですが、泉北高速鉄道の泉ヶ丘駅から南東へ600メートルほど行った所にある高倉寺交差点へ行きました。歩道橋の上で待ち伏せていますと、13時半ころに高蔵寺(たかくらじ)のだんじりが姿を現わしました。 高倉寺交差点を横切る高蔵寺だんじりです。 駅前で曳行を一時とめてパフォーマンスをしています。 茶山台1丁交差点を右折しようとする高蔵寺だんじりです。 竹城台1丁交差点の向こうから田園(たぞの)のだんじりがやって来ました。どうやら高蔵寺だんじりは、地元の高蔵寺へはるばるやって来てくれるだんじり達を時間を合わせて迎えに来ていたようです。 表記が「1丁目」ではなく「1丁」となっています。堺市では伝統的にこのような名称で住所を表記しているそうです。世界的繁栄を誇った堺の旧市街地は、元和元年(1615年)の大阪夏の陣で焼け野原となり、復興にあたってまず町割りの組み改め、つまり道路の引き直しによる行政地区割りの刷新を行なったそうなのですが、その時に「丁目」ではなく「丁」という表記を用いたそうで、以来踏襲しているそうです。 ◆なぜ、堺市では美原区域以外は「丁目」じゃなくて「丁」なの? 堺市 田園だんじりが竹城台1丁交差点を遣り回し(やりまわし)で勢い良く駆け抜けました。 陶器地区のだんじり祭では、主に大阪の泉州(せんしゅう)地方で行なわれる遣り回し曳行と、主に大阪の南河内(みなみかわち)地方で行なわれる踊りパフォーマンスとの、両方が行なわれるようです。陶器地区は地理的に泉州と河内の国境に位置していますので、両方の特徴を持っており、多彩です。 高蔵寺のだんじりの後を辻之(つじの)のだんじりと田園(たぞの)のだんじりが続きます。 町を練り歩くだんじりを、歩道に植えられたコスモスが迎えます。 三原台1丁交差点を遣り回しで駆け抜ける高蔵寺だんじりです。 同じく遣り回しで駆け抜ける辻之だんじりです。 高蔵寺だんじり、田園だんじり、辻之だんじりが「くだもののマルナカ」前にある四つ辻で合同パフォーマンスです。男達は、だんじりを前後に傾けたり、左右にゆすったり、ぐるぐる回したりしてだんじりを踊らせ、女の子達はだんじりの前で飛び跳ねて踊ります。たいへんにぎやかなパフォーマンスになります。南河内地方のだんじり祭でよく見られる系統のパフォーマンスです。 陸上選手のように髪を硬派に編み込みにしている女の子と、キャバクラ嬢のように髪を派手に盛っている女の子がいるようです。衣装は男子とほぼ同じのようです。 だんじり祭には昔は男子しか参加できなかったそうですが、いつの頃からか、太平洋戦争後と言われているようですが、女子も男装していれば参加できるようになったようです。ただし、危ないという事で、女子は動いているだんじりに乗る事は基本的に許されていないようです。巡行や遣り回しの時に綱を曳く事はできるようです。 陶器地区だんじり祭のだんじりパフォーマンスの特徴についてですが、だんじりの前後どちらかを差し上げて二輪だけで立ち、 その場でだんじりをぐるぐる回します。岸和田のだんじり祭では絶対にみられないパフォーマンスです。人が乗った状態で3トンから4トンもあるだんじりを軽々と操(あやつ)る技に驚きます。 またこのように、だんじりを左右に揺さぶるパフォーマンスもします。見物客としての反応は、「む、む、無茶苦茶しよんな。倒してもうたらタダではすめへんで」(た、た、たいへん冒険的な事をしますね。倒してしまったらたいへんな事になっちゃうよ)。 だんじり祭は休憩時間に入りました。各だんじり自慢の彫刻をじっくり鑑賞するチャンスです。 これは高蔵寺のだんじりです。十六枚菊紋を幟旗(のぼりばた)に刺繍しています。「高蔵」という地名が高倉天皇に由来しているからのようです。 すぐ近くに地名の由来となった高倉寺(たかくらじ)という寺院があります。 本坊の玄関です。『大修恵山』(だいすえざん)という扁額がかかっています。 文武(もんむ)天皇の勅命により、奈良時代の僧、行基(ぎょうき)が創建した寺院だそうです。元は「修恵(すえ)寺」という名前だったそうです。須恵器の「すえ」と関連があるとされているようです。 その後、聖武(しょうむ)天皇の勅願で七堂伽藍(しちどうがらん)が造営された、つまり、聖武天皇がお金を工面して仏教寺院らしく運営するために必要な多くの立派な建造物が整備され、以後、歴代天皇の勅願寺となったそうです。塔頭(たっちゅう)は四十九院を数えた、つまり、寺の敷地内に塀で仕切られた49軒の小さな寺が並び立って寺を大規模に運営したそうです。 その後、弘法大師空海(こうぼうだいし・くうかい)が訪れ、密教を修法する真言宗寺院としたそうです。 その後、高倉天皇(在位1161-1181年)がこの寺を訪れた時、天皇はその荘厳さに感銘を受け、寺に「高倉」という名を自ら与えたそうです。寺に税収をもたらす広い土地も与えたそうです。 その後、1510年の摂津河内(せっつ・かわち)大地震、1585年の織田信長による焼き討ち、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などにより規模は縮小し、現在は宝積院(ほうしゃくいん)という塔頭のみから構成される寺となっているようです。 高蔵寺だんじりの腰下の彫刻です。流水紋の中を立派な鯉が元気に泳いでいます。なぜか前を泳いでいる鯉が泣いていました。ガラス製の玉眼(ぎょくがん)をはめ込んだ所にちょうど材木の脂壺(やにつぼ)があったのかも知れません。とすれば、奇跡の涙鯉です。 大屋根の前面の彫刻です。獲物につかみ掛かっている姿の獅子(ライオン)と、下は鳳凰(ほうおう)です。 田園(たぞの)のだんじりです。 だんじりの腰下の彫刻です。流水紋の中を龍が泳いでいます。波の上を駆けているうさぎは因幡の白うさぎでしょうか。その上には武将の戦闘場面が彫られています。 正面の彫刻です。下側の場面は、片方の武者が舟の艪(ろ)らしき物を手にしているので、ひょっとすると宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘かも知れません。上側の場面は、片方の武将が入道の姿、片方の武将が軍配でもって相手の攻撃を受け止めようとしている姿なので、ひょっとすると武田信玄と上杉謙信の川中島の合戦かも知れません。 辻之(つじの)のだんじりです。 だんじり腰下の彫刻です。流水紋の中を亀が泳いでいます。ただの亀ではなく、万年生きて神通力を帯びるようになった亀という様子です。 細かな彫刻を接写で撮ってみました。これは赤穂浪士が吉良上野介を捕らえた場面です。目の表情がいいです。 屋根を支える正面の柱に巻きついた龍です。手には玉を握っています。 休憩を終えてだんじりがまた動き始めました。自分の町へ帰ろうとする田園、辻之のだんじりを、ここが地元である高蔵寺のだんじりが、「まだまだ帰らせへんで」と通せんぼしているところです。 このあと、「夜に田園(たぞの)交差点で待っとるからな」と互いに目と目で挨拶して、田園、辻之のだんじりは自分の町へ帰って行きました。 この記事は 『雑記_陶器だんじり祭2012_夜編』 へと続きます。
by pascor
| 2013-05-06 20:54
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