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先日、といっても1ヵ月半以上前になりますが、奈良の薬師寺で毎年執り行なわれています花会式(はなえしき)に参列して来ました。丹精こめて作られた和紙の造花が堂内に飾られる事から「花会式」という通称で呼ばれています。正式な名称は「修二会」(しゅにえ)です。二月(旧暦)に執り行なわれる法会という意味です。金堂の三尊(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)の前で国家平安、五穀豊穣、病気平癒などを祈る法要です。 薬師寺公式ホームページ上の花会式の解説: 花会式(修二会)-薬師寺公式サイト|HANAESHIKI(SHYUNIE)-Yakushiji Temple 薬師寺の南東、秋篠川の堤防から撮った薬師寺の写真です。この日は残念ながら桜はまだ七分咲きでした。ソメイヨシノの一番美しい姿は、やはり散り始めるその瞬間です。しかし、散り始めるとあっという間で、わずか10分間くらいの事です。 般若心経の一節です。このあとに有名な「色即是空 空即是色」(色は、すなわち、これ、空。空は、すなわち、これ、色。)の一節が続きます。 上は「色不異空 空不異色」の一節のサンスクリット語(=古代インド文語。梵語)原典なのですが、梵英、梵独、梵仏、梵和辞典などを引いてみますと、どうもこの漢訳はちょっと違うような気がします。 ▽▽▽▽▽▽ ここから内容が少し専門的 ▽▽▽▽▽▽ rupanは、中性名詞rupaの単数・奪格(ablative)形であるrupatが、次に続く単語の語頭の鼻子音nとの間で音便変化を起こしてrupanとなったものです。rupaは漢訳仏典において「色」(しき)と訳されていますが、サンスクリット辞典を引いてみますと、「形」や「象」と訳したほうが良いように感じます。「瞑想の時にまぶたの裏に映る様々な形象」というようなニュアンスがあるようにも感じます。英color(仏colour, 独Farbe)という意味もない事はないようですが、動詞rup「形作る。注意深く見る」と関連がある名詞のようですので、colorよりは(英)figureという意味のほうが強いようです。 sunyataは女性名詞sunyataの単数・主格形です。漢訳仏典においては「空」(くう)と訳されています。仏教哲学において非常に重要な語です。「実体がない事」といったような意味の名詞です。ちなみに、中性名詞sunyaはインド数学では零(zero)のことです。この「空」という難解な概念を説明するために莫大な巻数からなる一連の般若系経典群が書かれています。それら般若経典の要旨をわずか三百字足らずで書き表したのが『般若心経』であるとされています。しかし当然、この難しい概念を三百字足らずで説明する事は無理ですので、般若心経は一連の般若系経典群へのリード(lead)と捉えたほうがいいと思います。 naはラテン語non、仏語ne、英語not、独語nichtなどと同じ否定辞です。 asti「~がある。~が存在する」という動詞がこの文章には省略されています。動詞asの直説法・現在・3人称・単数です。asは英語be、独語sein、仏語etre、ラテン語esseなどと同じものです。いわゆる「be動詞」です。asはよく省略されるようです。 prthakは、多くの般若心経の原典解説書において、「~とは異なって」という副詞であると解釈されていますが、辞書を引いてみますと、これはどうやら違うような気がします。動詞も形容詞も存在しないのに副詞があるというのは、ちょっと違和感があります。ここでは、名詞の奪格(ablative)をともなって「~なしに」(without)または「~と離れて」(apart from)という意味をあらわす前置詞だと思います。 名詞や形容詞に格変化があるサンスクリット語、古代ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語などでは、単語の語順は比較的自由です。日本語も「が、は、の、に、へ、を、で、から」などの格助詞が存在しますから、比較的自由です。これらの言語で書かれた文章を解釈するにあたりましては、英語を解釈する時のように語順を重視し過ぎると正しい意味がとれなくなる可能性があります。「naはprthakの前に位置しているのでprthakを否定している」と安易に判断してはいけません。この文においては、naは省略されているastiを否定していると考えるほうがいいと思います。 この文の中心は、 sunyata「空は」na「ない」asti「存在し」 です。それに prthak rupat「色なしに」または「色と離れて」 が加わります。 △△△△△△ ここまで内容が少し専門的 △△△△△△ 以上の考察をもとに、サンスクリット語原典から直接に現代日本語にやくしますと、 のどちらかだと思います。般若心経の原作者がこの1と2のどちらを意図していたのかという事は、前後の文脈や仏教哲学の基本的思想から判断する事になります。 「「色」というものの概念を深く考察していたら、いつの間にか「空」というものの概念を考察していた。更に、「空」というものの概念を深く考察していたら、いつの間にか「色」というものの概念を考察していた。」というような内容をこの般若心経全体から感じるという意見があるようですが、もしかしますと、原作者は1と2の両方を意図してこのprthakという単語を選択した可能性があるのではないでしょうか。つまり、1も2も正しい解釈ではないでしょうか。 その日の夜の法要も常に違わず19時から始まりました。まずは先導役の僧が最初の百文字ほどをひとりで低い音からゆっくりと唱え始めます。「一切恭敬(っさいくぎょう)、敬礼常住三宝(きょうらいじょうじゅうさんぽう)」。下のシあたりの高さから始まって、一節唱えるごとに少しずつピッチがあがっていき、その日の時導師(じどうし)によって、唱え終わりに向けてミあたりまで徐々にあがったり、ファあたりまで徐々にあがったりします。その過程で西洋音楽の平均律12音の中には存在しない音階がたくさん出てきます。その微妙な変遷はまるで、クリスタルのシャンデリアに日光や月光が射した時のようです。「如来妙色身(にょらいみょうしきしん)」に続いて、「世間無与等(せけんむよとう)」という句から僧と参列者全員が唱え始めます。「如来の素晴らしいお姿は世の中に並ぶものなし」。如来、つまり最高の悟りに到った者の身体には三十二の美しい特徴があると仏教では考えられているようです。例えば、皮膚は柔らかくすべすべで、良い香りと金色の光を放っているのだそうです。 音に色がついているように感じる人がいるそうです。その現象の事を脳科学の分野で「色聴」というそうです。私も少しだけ色を感じる事があります。色を感じるというよりは、音楽を3次元のオブジェに変換する事が出来て、そのオブジェの表面に色がついていたり、オブジェが色を発していたりしているという様子が頭の中に浮かびます。オブジェの表面は部分によって手触りが違います。金属的にツルツルしているところや、金工の梨地加工のようにザラザラしているところなど、色々あります。主に楽譜を覚える時にそれらが形成されていって、アンサンブルの時にはその画像の感覚に沿って歌っていました。般若心経に関しましては、深く読んでいくにつれて何故か「羯諦羯諦」(ぎゃーてぎゃーてー)という部分に強烈なチョコレート色を感じるようになりました。私は和音に対して味覚的に甘みを感じる事があるのですが、残念ながら、「羯諦羯諦」に対して甘みは感じません(笑)。 花会式では、般若心経は僧が行道の時に黙読するだけです。薬草染めの和紙で作られた造花の艶やかな色彩や、独特の和音を呈する声明(しょうみょう)の心地好さや、香炉で焚かれる高級な香の匂いや、参列者に授与される一滴のお香水(こうずい)の甘味や、国宝薬師三尊像の表面のつややかさなど、これら全てを「実体がないものである」と参列者の前で否定してしまうのは、さすがにはばかられたのかも知れません。 その日の夜の法要が終わって、金堂から外に出ますと、東塔に満月がかかっていました。この情景を目にしたのは久しぶりです。カメラにもおさめる事ができました。「画竜点睛」(がりょうてんせい)という言葉がありますが、この塔が龍の画ならば、この満月はまさに睛(ひとみ)です。 東塔はその美しい建築的造形から「凍れる音楽」と形容されています。私の場合は、この情景を音楽に変換しますと、ショパン・12の練習曲・作品10・第3番・ホ長調・「別れの曲」のpoco piu animatoからfpの直前までの部分と似たような音楽になります。 私のこだわりとしては、東塔と満月だけではまだ足りないと思います。早く流れる雲があって、満月が雲に隠れたり現われたり、そういった情景のほうがより素晴らしいと思います。fpから、ff、con forza(力強く)、con fuoco(火のように)、con bravura(大胆勇敢に)を経てlegatissimoの直前のfzまで。物理的には塔は静止していますが、めくるめく月光の移り変わりに激しく揺れ動きます。 legatissimoからの8小節は、月が大きな雲に隠れて直接の月光が射さなくなった情景です。tempo primoで主旋律に戻りますが、この部分は、雲が空を広く覆って月光が全く見えなくなった情景です。しかし心の中では塔に注ぐ月光の残照がいつまでも続いています。 建築的造形の本質は音楽であるのか、それとも、音楽的構成の本質が建築であるのか、どちらなのかはもう分からなくなってしまいました。建築は音楽を離れては存在せず、音楽は建築を離れては存在しない。建築はすなわち音楽であり、音楽はすなわち建築である。確かにこの視点に行き着くのかも知れません。更には、建築物が自分自身の姿に見えてきたり、自分が生きている事自体が音楽表現であるように聴こえてきたりと、建築と音楽と自我の境目まで判らなくなってしまいました。自分の心が、塔の中に宿ったり、次の瞬間月面の石に宿ったり、また次の瞬間再び草はみという有機物体に宿ったりと、そこらじゅうを徘徊します。 明月と東塔と私と、しばらくそのような遊を結んで、薬師寺の境内をあとにしました。 薬師寺の南門から境内を出ますと、そこに枝垂れ桜が咲いています。今年も見事に咲いていました。塀越しの西塔を花間から撮りました。去年は「フラッシュののち長時間露出」モードで撮って変な写真ができてしまいましたので、今回はフラッシュだけで撮りました。 しだれ桜の優しく艶やかな桃色をしばらく目に収めてから、帰路につきました。
by pascor
| 2010-05-18 23:39
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